節分の由来?なぜこの日に鬼退治?節分を知ろう!

2014年 節分

節分とは

せつぶん・せちぶんと呼ばれる「節分」は、二十四節気の「立春、立夏、立秋、立冬」の各季節の始まりの前日のことを指していました。
「節分」とは、節を分ける・季節を分けるという意味があるのです。
江戸時代以降は、特に立春の前日を指して呼ぶようになり、雑節の一つとされています。

二十四節気の、小寒から立春までとされる大寒の最後の日でもあるため、寒さはこの日あたりが一番厳しいとされてきました。
季節の変わり目には、「邪気・鬼が生じる」と信じられていて、それを追い払う「悪霊払い」の行事が行われます。

節分の日付は毎年「2月3日」ですが、この日付は1985年から2024年までに限られているそうです。
複雑な話はとても難しいのですが、節分の日付は数十年で少しずつ変わるらしいですが、立春の前日とと言うことでの位置は変わりません。
間接的には天体の運行と、厳密には標準時とも関連するようですが、日本以外の世界の国々には「節分を祝う風習がない」ため、「旧正月」のように日付の違いで話題にはならないようです。

と言うことは、「節分」とは日本特有の行事だということになりますね。

ではどのような由来があるのか見ていきましょう。

節分の由来は

『節分』が特に立春の前日のみを指すようになったのには、冬から春に変わる時期を一年の境と考え、現在の大晦日と同じ意味を持つとされた為です。
「豆まき」の行事は中国から伝わった行事で、「鬼やらい」「鬼走り」「厄払い」「厄落とし」などとも呼ばれ、疫病などをもたらすとされた悪い鬼を追い払う儀式です。

初めて行われたのは、706年の文武天皇の時代で、宮中で行われた記録が残っているそうです。
以後、宮中の年中行事として伝わり、『延喜式』と名づけられた「節分行事」は、彩色した土製の牛と童の人形を、大内裏の各門に飾るものでした。
詳しいことは省きますが、平安時代から続くこの儀式は、室町時代での「桃の枝信仰」へと移り、更に炒り豆で鬼を追い払う行事へと変化して行ったようです。

このような昔からの由来が存在する節分を日本人は大事にしてきました。

→ 節分について知りたい事が全部分かる

節分にすること

先に述べてきたように、「節分」には古くから豆まきの行事が行われてきました。
伝説ですが、鞍馬山の鬼退治に炒り豆で鬼の目を打ち、災厄を逃れたという故事が始まりのようです。

豆には「生命力と魔よけの呪力がある」とされた信仰が、大きく働いていたこと。
語呂合わせでの「魔目」を鬼の目に投げつけて退治する、鬼を滅する「魔滅」に通じるとされたこと。
「鬼に豆をぶつけること」で邪気を払い、一年の無病息災を願ったこと。

これ等の意味合いから、昔から「節分の豆まき」は連綿と続いているのでしょうが、近年はただの行事のようにもなってきていますね。
芸能人や運動選手の年男・年女たちが、有名神社で行う豆まきは、行事などから遠ざかつつある若い人々への「良い宣伝」とも考えられます。

豆を撒くときの掛け声には、一般的に「鬼は外、福は内」ですが、地域や神社によっては違いがあり、「鬼も福も内」と言うところもあります。
我が家では、「鬼は外」と言うのは「鬼が家の中に居る」ということと教えてもらってからは、「福は内」のみの掛け声にしています。

節分でまく豆は、お祓いを行った豆を炒るのが本式のようです。
神棚に供えてから撒く地方もあるとのこと。

炒り豆を使用する理由は、節分の豆は旧年の災厄を負って打ち払われるものと考えられるため、撒いた豆から芽が出て災厄が復活してい大変と、炒るようになったとか。
昔は、豆以外にも「米、麦、かちぐり、炭」などの使ったようです。

現在では、節分の時期が近づくとスーパーなどで節分用の品々が並べられています。
炒り豆も核家族向けなのか、少なめの量で紙製の鬼の面なども付いていますが、家族で豆まきをするお宅はどのくらいあるのでしょうか。
以前は、家長である父親や年男が豆を撒き、子ども達が鬼に扮したという微笑ましい場面も見られたようですが、最近はあまり見聞きはしません。

食としては、炒り豆を歳の数だけ食べたり、鬼はいわしを焼く煙を恐れるとして鰯を焼いたり、恵方巻きを食べたりします。
ヒイラギの葉の刺が鬼の目を刺すとして、鰯の頭と共に門口に「鬼除け」として挿す風習もあるそうです。
また「節分の厄払い」として、東西の花街では「節分お化け」という、子どもや様々な扮装をする風習もあります。
節分の日は、普段と異なった服装で寺社参拝を行い、「通常とは違った扮装で魔を払う」という信仰から始まったもののようです。

我が家では、玄関先の棚などに「2月の室礼」の簡略形として、赤い袱紗に枡と炒り豆・ヒイラギ・季節の花を添えて飾っています。
西洋化で和の行事やしきたりが薄れているこの頃、自分流の「節分」を考える良いチャンスとして、何かそれらしいものを見つけてみるのも楽しいですよ。