端午の節句とは

現代のように、「端午の節句」を男の節句として祝うようになったのは、鎌倉時代からのようです。
それ以前は中国からの伝来で、旧暦の丑の午の月が5月にあたり、この月の最初の午の日を節句としていました。
「端」は始まりの意味があり、始まりの午の日を「端午」と読んだもので、「午の年の午の日」で5月5日と数の重なる日を「端午の節句」と呼んだようです。
他にも、奇数の月と日が重なる3月3日、7月7日、9月9日なども「節句」とされています。

端午の当日には、野に出て薬草を摘み、鮮やかな色目の糸を肩に巻いて病を退け、邪気を払うと考えられた蓬や菖蒲を門に掛けたりしました。
この風習が現在にも残っていて、菖蒲や蓬を軒に吊るしたり、菖蒲湯に入ったりもしています。

宮中では、菖蒲を髪に飾って集まり、天皇から薬玉を賜る行事がありました。
薬玉は、現在では催しものの飾りとして作られていますが、元々は薬草を丸く固めて飾りをつけたものす。
宮中の行事として奈良時代から記述があり、貴族間では贈りあう習慣もあったようです。

鎌倉時代に入り、「菖蒲」の呼び方が「尚武」に通じ、また菖蒲の葉の形が剣を思わせることから、端午の節句は「男の子の節句」とされたようです。
男の子の立派な成長を祝って祈ることから、勇ましい鎧・兜・刀・武者人形などを飾るようにもなっていったようです。
鎧や兜は、身を守る意味もあるからです。

鯉のぼりを端午の節句に立てるようになったのは、江戸時代からのようです。
男子の立身出世を祈願して、五色の吹流しと複数の鯉のぼりを立てます。

関東地方では一般的な鯉のぼりは、関西地方ではあまり見られないとも言われています。
関東は武士の国だからなのでしょうか。

端午の節句に食べるもの

端午の節句に食べられるものとして、最も知られているのは「柏餅」でしょう。
柏の葉に包まれた、餡を包んだ餅菓子です。
柏は、古来から神聖な神の宿る樹とされ、『拍手を打つ』の語源とも言われています。

更に時代が下がると、現在の葉が次の新芽が出るまで落ちないことから、家督が絶えない象徴として、武家の社会では縁起のよいものとされていました。
男社会の武家らしい由来ですね。

葉の表裏で、中身の餡があずき餡(表葉)か、味噌餡(裏葉)か、分かるようにもなっています。
また現在では種類も多くなり、小豆餡も漉し餡や潰し餡、包む餅も蓬入りの草餅の場合もあります。
味噌餡という甘すぎない餅菓子、というところに「男の節句の食べ物」というイメージが強く出ていますね。

柏餅ほどではありませんが、「粽・ちまき」も端午の節句の食べ物としては定着しています。
中国からの伝来したもので、頃は平安時代から言われていますから、関西地方には多いようです。

日本では笹の葉ではなく、茅の葉を用いたことから「ちまき」と呼ばれたという説もあるようです。
昔から植物の葉は、食器の代わりや携帯食の包装に使われてきました。
ある種の葉には、除菌・殺菌作用のあるものが多く、昔の人はよく知っていたということでしょう。

もち米を植物の葉や皮で包み、「灰汁・あくで煮る」ことで保存食にしたもののようです。
現在の『ちまき』は、地方によって形状も中身もいろいろのようで、大きめの三角のものや細長いものを何本も束ねたもの等、様々です。
中身も餡入りや餅だけのもの、中には酢飯を具と共に巻いた寿司もあります。

蓬をつきこんだ「蓬餅・草餅」も、所によってはよく食べられているお菓子です。
蓬には邪気を払う力があると信じられていましたし、また消毒作用もあって古くから薬草としても珍重されていました。
その清々しい味わいと共に、「幸せで健やか」にも繋がっていくと考えられたのでしょう。

お祝いの料理としては定まったものはありませんが、男の子の節句と言うことから、『出世や成長の早いもの』が選ばれているようです。
出世魚とされるスズキ、ボラ、ブリなどや、「鯉の滝登り」のコイなどの魚がそうですし、目出度い日のお祝いとしてタイも多く用いられています。。
この時期の山菜としては、芽が出るのが早い、ワラビ、ヨモギ、タケノコ、木の芽などが使われます。

雛祭り同様に、初節句には両家共々集って、端午の節句のお祝いをしたいものですね。
最近は『男子誕生』を、昔ほどには騒がないようになってきていますが、お子様の誕生はそれだけで喜ばしいもの。
形にとらわれることなく、気持ちの良いお祝いの日にしてください。